第39回演奏会
サマーコンサート
終了しました
 日時  2018年5月27日(日)14時開演(13時30分開場)
 会場 羽生市産業文化ホール 小ホール
地図
MapFan様提供
   羽生市役所様提供
 入場料 全席自由 入場無料
 指揮  搏c一揮
 曲目 ヴィヴァルディ「四季」    
さだまさし
「案山子」「無縁坂」
「精霊流し」「秋桜」
ほか

〔第1部〕 合唱 

・別れの曲     作曲 ショパン/作詞編曲 河野正幸
・四季       作曲 ヴィヴァルディ/編曲 森重行敏/作詞 中山知子


〔第2部〕 ソロ演奏
・「ホフマンの舟歌」(歌劇「ホフマン物語」)   作曲 オッフェンバック
   メゾ・ソプラノ:長崎真衣  アルト:小松響花  ピアノ:吉野莉紗
・「炎は燃えて」(歌劇「イル・トロヴァトーレ」)  作曲 ヴェルディ
   メゾ・ソプラノ:長崎真衣  ピアノ:金田萌子
・「子供の領分」から            作曲 ドビュッシー
 (第1曲)グラドゥス・アド・パルナッスム博士
 (第6曲)ゴリウォッグのケークウォーク
    ピアノ:吉野莉紗
 ・「ロシア民謡」メドレー 
     ソプラノ:鈴木泉水  ピアノ:木村由美

〔第3部〕 合唱

・案山子         作詞作曲 さだまさし/編曲 遠藤謙二郎
・秋桜(コスモス)    作詞作曲 さだまさし/編曲 遠藤謙二郎
・無縁坂         作詞作曲 さだまさし/編曲 遠藤謙二郎
・精霊流し        作詞作曲 さだまさし/編曲 松下耕
・いい日旅立ち     作詞作曲 谷村新司/編曲 荻久保和明

(第1部、第3部)
指   揮:搏c一揮
ピアノ伴奏:木村由美 吉野莉紗 
合   唱:混声合唱団 和声会
混声合唱団 和声会


曲目解説
【別れの曲】
ショパンのピアノ独奏の練習曲作品10第3番の中の一つで有名な曲ですが、「別れの曲」と呼ぶのは日本人だけです。かつてのフランス映画で同曲が主題となっている物語の邦題が『別れの曲』とつけられたため、同曲が「別れの曲」というタイトルで定着して現在に至ります。おだやかなように聴こえる曲の裏に隠された切ない気持ちが表現されているこの曲に、ショパン自身「これほど美しい旋律はもう書けない」という一文を残しています。

【四季】
ヴィヴァルディの「四季」として有名なこの曲は、12のヴァイオリン協奏曲を集めて作られた「和声と創意の試み」のうちの最初の4つの協奏曲群を指します。それぞれの協奏曲が三楽章構成で書かれており、楽章ごとに音楽の内容を伝える詩が添えられています。
ヴィヴァルディがこの作品を手掛けていたころ、彼は名ヴァイオリニストとしても演奏旅行を数多くこなしていました。「四季」に含まれる12曲の音楽が、彼の類まれな技巧を余すところなく伝えています。また、季節ごとの見事な情景描写や的確な構成など、「四季」にはさまざまな「創意の試み」が盛り込まれています。
本日の演奏で使用する編曲は、1979年に杉並児童合唱団のために書き下ろされたもので、春・夏・秋・冬それぞれの抜粋ですが、原曲の味を残したコンパクトかつ巧みな編曲に格調ある詩があてられています。

【案山子(かかし)】
都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌です。作曲のきっかけは、大分から福岡へ弟と共に移動する際に列車から見た景色だということです。その日は雪が降っており、車窓から雪の中に案山子がぽつん立っているのを見たさだは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけ、その風景と自身が経験した都会での一人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついたということです。

【秋桜】
1977年にリリースされた山口百恵19枚目のシングル曲です。嫁ぐ娘の視線から、これから娘を送り出す母のやさしさ、寂しさと、今まで母に支えられていた自身を想って歌われる「日本の歌百選」にも選ばれた名曲です。

【無縁坂】
東京都文京区湯島四丁目にある坂、無縁坂を舞台に、息子の年老いた母に対する想いを歌った楽曲です。さだまさし23歳の時(1975年)グレープ6枚目のシングルとして発表されました。

【精霊流し】
1974年4月25日にグレープがリリースしたシングル曲で、後にヴォーカル担当のさだまさしが自伝的小説として書き下ろし、テレビドラマおよび映画化されました。毎年8月15日に故郷である長崎県長崎市で行われる精霊流しを題材とした作品です。直接的には、母方の従兄が水難事故で亡くなったときの精霊流しの思い出がモチーフになっています。

【いい日旅立ち】
1978年11月にリリースされた山口百恵の24枚目のシングルです。「秋桜」同様、「日本の歌百選」にも選ばれています。国鉄のキャンペーンソングとして用いられたことで有名になりました。


 

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