2006年海外公演募集について


 モーツァルト:交響曲第36番ハ長調 K.425 「リンツ」  

1783年、モーツァルトは妻コンスタンツェとともにザルツブルグを訪問した帰路、リンツに立ち寄った。モーツァルト夫妻が逗留したのは、音楽愛好家として知られるトゥーン伯爵邸。モーツァルトの来訪を喜んだ伯爵が急遽、リンツの劇場で音楽会を企画したが、交響曲の持ち合わせがなかったために、大急ぎで作曲に取り掛かり、わずか4日間で完成されたのが、この交響曲36番「リンツ」である。第1楽章にゆるやかな序奏部が付けられたことは、ハイドンの影響によるものとも見られる。全曲を通じてハ長調の優雅で明快な響きが心地よい、モーツァルト円熟期の傑作である。

第1楽章 アダージョ〜アレグロ スピリトーソ ハ長調 ソナタ形式
第2楽章 ポーコ アダージョ ヘ長調 ソナタ形式
第3楽章 メヌエットハ長調 複合三部形式
第4楽章 プレスト ハ長調 ソナタ形式

 ケルビーニ:レクイエム

ケルビーニはモーツァルトやベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン、ベルリオーズなどと同時代の作曲家である。1760年にイタリアに生まれ、幼少のころからハープシコード奏者である父親の音楽教育を受けた。その後、2年間のロンドン滞在を経て1788年にパリに移住し、1842年に亡くなるまで定住した。パリ音楽院創立当時から深くかかわりを持ち、1822年にはパリ音楽院院長を務め、晩年まで続いた。

このレクイエムはフランス革命で断頭台に消えたルイ16世追悼のため、ルイ16世の弟であるルイ18世からの命により作曲され、1817年にケルビーニ自身の指揮によって初演された作品である。ベートーヴェンは「もし自分がレクイエムを作曲するなら手本はケルビーニであろう」と語っており、その完成度に影響されてか、ついにレクイエムを書くことはなかった。ベートーヴェンの追悼ミサではモーツァルトのレクイエムとともにこの曲が演奏された。優れた作曲技法によりレクイエムにふさわしい敬虔な美しさを追求しており、独唱を用いないことや、オーケストラからフルートを抜くなど、独創的な部分も見られる。世に言う3大レクイエム、すなわちモーツァルト、フォーレ、ヴェルディのレクイエムに比べると、ケルビーニのレクイエムの知名度は低いものの、これらに勝るとも劣らない名曲である。

 レクイエムとはラテン語で「安息」という意味であり、死者の安息を神に願う、カトリックのミサで用いられる。日本語で「鎮魂曲」と訳されることもあるが、レクイエムに鎮魂の意味はない。ミサは基本的に毎日行われるものであり(ちなみにクリスマスの語源は「キリストのミサ」であり、これもミサの一種)、死者のためのミサにおいては歌い出しがRequiem aeternam(永遠の安息を)であるために、ミサ全体がレクイエムと呼ばれるようになった。

(以下解説およびmp3ファイルは第9回和声会コンサートより)

T. Introitus et Kyrie
U. Graduale
1,2曲目のキーワードは曲のタイトルである「レクイエムRequiem」と「ルックスLux」。「ルックス」とは現在では明るさの単位として用いられるルックスの語源であり、「光」という意味。
V. Sequentia
冒頭部分に歌われる「ディエス・イレDies irae」(怒りの日)がキーポイント。死者は、生前に行った行為を全て網羅した書物を元に裁きを受ける。その結果、良い行いをしたものは羊の群れ、すなわち救われて天国に召されるが、悪い行いをしたものは山羊の群れ、すなわち地獄に落とされる。曲の冒頭は裁判の開始を告げる不思議なラッパが響き渡る。すると死者の動悸が高まり震え出す。(アンダーラインの部分をクリックすると、mp3ファイルが再生できます)
W. Offertorium
曲の中盤で「アブラハムとその子孫にに約束したように・・・」というフレーズが追いかけっこのように展開する(フーガ)。祈るような曲を挟んで再びフーガが繰り返される。この3,4曲目が大きな山場。
X. Sanctus et Benedictus
「サンクトゥスSanctus」(聖なるかな)という言葉が3回繰り返される。日本語で言う万歳のようなもの。神をあがめる賛歌。
Y. Pie Jesu
一転して「ピエ・イエズPie Jesu」(慈悲深いイエスよ)と歌う、すがり付いて慈悲を求める。
Z. Agnus Dei et Communio
墨絵の世界のように一色で描かれる。すなわち、最後の20小節間の合唱はドの音の連続しかない。その単音の中で吸い込まれるように消えてゆく。

                                               

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