第19回定期演奏会 サマーコンサート

 

 日時  2007年6月24日(日)
開場 13:30 開演 14:00
 会場  羽生市産業文化ホール(小)
 入場料 無料
 ピアノ 佐藤 ユカリ 木村 由美


 合唱

 アヴェ・マリア/カッチーニ

(解説)アヴェ・マリアというのは、マリアに幸あれという意味です。ヨーロッパではキリストよりもむしろ聖母マリアを信仰する宗派があります。そのため、聖母マリアをたたえる歌は多種多様あります。作曲家のカッチーニは、イタリアのフィレンツェでオペラの誕生に寄与した人で、日本で言うと徳川家康の生没年にほぼ重なります。今回演奏した曲はカッチーニのアヴェマリアといっていますが、実際には定かではありません。実は20世紀の終わりごろまでこの曲は発見されていませんでした。描かれ方が時代の様式にそぐわないため、別の作曲家が近年になって書いたという説があります。いずれにしても、大変きれいな曲です。
 次にお聞きいただくのはロッシーニの「小荘厳ミサ曲」です。ミサというのはヨーロッパのカトリック教会において、キリストの死と復活を記念して行われる、大変厳粛な儀式です。そのときに唱えられる文言に曲をつけたものがミサ曲です。いろいろな作曲家がミサ曲を書いていますが、たとえばジャガイモという素材があっても、ポテトサラダにしたり肉じゃがにしたり、料理の内容は人それぞれのように、言葉は同じでも作曲家によってまったく曲は異なります。
 これからお聞きいただく「小荘厳ミサ曲」はロッシーニの作曲です。ロッシーニはオペラ「ウィリアムテル」で有名な作曲ですが、亡くなったのが1868年、ちょうど明治維新のころです。76歳で亡くなりますが、このオペラが書かれたのは37歳のときです。以後亡くなるまで、人生のほぼ半分はまったくオペラを書いていません。ある意味では作曲の筆を折ってしまいます。理由としては、創作の泉が枯れてしまった、革命によって約束されていた礼金が支払われなくなった、など、いろいろいわれていますが、イタリアを出てパリに落ち着きます。そこで出会ったのが料理三昧です。パリにはグルメ天国という高級レストランを開き、ロッシーニ風トルネードという料理を現在にも残しています。ボローニャにトリュフを探させるための豚を飼うほどの料理好きであったそうです。
 この彼が死の5年ほど前に書いたのが「小荘厳ミサ曲」です。後半生は大曲は書かなくなりましたが、小さな曲は書いていました。日本では幕末から明治にかけて、変動の時代ですが、世界的にも大きく変わる時代です。馬車から蒸気機関車、ランプからガス灯といった具合に。それとともに、作曲の技法も大きく変わってきます。ロッシーニはある意味では前時代の殻から抜けられない人ですので、とうとう汽車にも乗れなかったそうです。そんな彼が、手練手管をつかわなくても曲は書けるという、ある意味皮肉をこめて書いたのがこの曲だといわれています。だんだんオーケストラの編成が大きくなり、100人200人の演奏が当たり前の世の中で、たった8人の歌い手と2台のピアノ、あるいはピアノとオルガンでこれだけのことができることを示しました。
 本日はその中から3曲を演奏します。1曲目はキリエ、主よ哀れみたまえ(kyrie eleison)、キリストよ哀れみたまえ(Christe eleison)と歌います。次がクムサンクトスピリトゥ、われは精霊とともに神の元にあり、という、満たされた曲です。最後はアニュスデイ、神の子羊という意味で、私の罪を取り除き、平安を与えてください、と歌っています。


 「小荘厳ミサ曲」より/ロッシーニ
   ・ 第1曲  キリエ

   ・ 第7曲  クム・サンクト・スピリトゥ
   ・ 第14曲 アニュス・デイ


 器楽アンサンブル
 ピアノ連弾
   ハンガリー舞曲第1番ト短調/ブラームス
    

 クラリネット三重奏
   G線上のアリア/J.S.バッハ
   イージーウイナーズ/ジョプリン
     

 マリンバ演奏
   春が来た(マリンバ独奏)
   さくらさくら(笙、マリンバ二重奏)
  
 光り降る音(笙、マリンバ二重奏)
  
 マリンバスピリチュアル(打楽器アンサンブル)
  (アンコール)チャールダッシュ(マリンバ+ピアノ)

 合唱 特集:日本の四季
  早春賦/吉丸一昌作詞・中田章作曲・中田喜直編曲
  夏の思い出/江間章子作詞・中田喜直作曲
  ちいさい秋みつけた/サトウハチロー作詞・中田喜直作曲
  雪のふるまちを/内村直也作詞・中田喜直作曲
(解説)第3部は日本の歌をお送りします。今お聞きいただいた曲、どこか変だと感じた方多いと思います。いま日本語が危機に瀕しています。このメンバーで一番若いのは15歳ですが、一番年配は逆立ちすると18歳だそうです(笑)。その世代格差は孫、ひ孫に相当します。そうなると、年配の方が当然知っている言葉がわからないという現象が起きてきます。たとえばこれから演奏する「われは海の子」にある「苫屋(とまや)」という歌詞は、差別用語であるということで現在は削除されています。このように教科書から削除された言葉はたくさんあります。「全然」といったら、次に来るのは否定形であるべきなのに、「全然いいですよ」などと平気で使う。「ら抜き言葉」も然りです。
 いまお聞きいただいた「雪のふるまちを」のメロディーのリズムが少し変わっていました。原曲のままですと「ゆ〜きのふ〜るま〜ちを〜」となりますが、「ゆーき」は沸くもの(勇気)で、降るもの(雪)ではありません。中田喜直が書いても変なものは変なのです。日本語には「赤」と「垢」、「花」と「鼻」のように同音異義語があります。その前の「ちいさい秋みつけた」でも、音符では「ちいさいあ〜き〜」となっていますが、「き(秋)」であって「あ(飽き)」ではない。そこで、「ちいさいあ〜き」という風に、「き」の音を半分できるように指示しました。
 これから演奏する「故郷」の冒頭「う〜さ〜ぎ〜お〜いし〜 か〜の〜や〜ま〜」の意味は「ウサギを追いかけたあの山」であるべきなのに、そのまま歌うと「おいしいウサギがとれるあの山」となってしまいます。こういったことに誰も疑問を感じないと、日本語は廃れてしまいます。そういった意味で、今日の演奏では日本語のもつ意味に細心の注意を払いました。そのあたりを感じつつ、お聞きください。

 
  混声合唱のための唱歌メドレー/源田俊一郎 編曲
   (故郷〜春の小川〜朧月夜〜鯉のぼり〜茶摘〜夏は来ぬ〜
    われは海の子〜村祭〜紅葉〜冬景色〜雪〜故郷)


  七夕さま/下総皖一



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