第20回定期演奏会

 

 日時  2008年3月30日(日)
14:00開演(13:30開場)
 会場 羽生市産業文化ホール 大ホール
 入場料 前売 一般 2,000円 学生 1,000円
当日 2,500円
全席自由
 管弦楽 東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団
 ソリスト テノール:岡本 泰寛
バリトン:駒田 敏章
 曲目 アダージョ:アルビノーニ作曲
誰も寝てはならぬ(歌劇トゥーランドット):プッチーニ作曲
千の風になって:作詞不詳/新井満作曲、日本語訳
レクイエム:プッチーニ作曲
グローリア・ミサ:プッチーニ作曲
 T. Kyrie
 U. Gloria
 V. Credo
 W. Sanctus e Benedictus
 X. Agnus Dei
アンコール:荒城の月


 

アダージョ:アルビノーニTomaso Giovannni Albinoni(1671-1751)

アルビノーニはバロック期にイタリア・ヴェネツィアに生まれた作曲家。オペラ作品を多く書いたが、こんにちでは器楽作曲家として記憶されており、「アルビノーニのアダージョ」はCMやBGMなどで最も馴染みのある曲。この曲は1945年にレモ・ジャゾットがドレスデン国立図書館の廃墟の中で偶然に発見した、トリオ・ソナタの緩徐楽章の断片から復元されたものと言われている。


千の風になって作詞不詳/新井満作曲、日本語訳

アメリカの詩『Do not stand at my grave and weep』が元になっている。原詩については以前から少しずつ話題になっていたが、小説家でありシンガーソングライターでもある新井満が日本語で訳詩、作曲を行い、2003年に新井満自身により『千の風になって』のタイトルがつけられ、発表された。それ以来、同曲を数人のアーティストが歌っているが、2006年のテノール歌手秋川雅史によるバージョンにより、広く知られることとなった。
 
誰も寝てはならぬ
レクイエム 
グローリア・ミサ      :プッチーニ
Giacomo Puccini(1858-1924)

画像:GiacomoPuccini.jpg今年で生誕150年となるプッチーニ(1858-1924)は、イタリアのルッカの宗教音楽化の家系に生まれた。最初に得た職は、教会のオルガニストであったが、18歳の時にヴェルディのオペラ「アイーダ」を聴いて衝撃を受け、オペラの作曲家を志した。ラ・ボエーム、トスカ、蝶々夫人など、旋律が美しく魅力的で、親しみやすいオペラ作品を数多く残している。没年を見るとわかるように、それほど昔の作曲家ではなく、スポーツカーやモーターボートを乗りこなし、モーターボートの運転中に転覆して骨折し、蝶々婦人の作曲が遅れた、というエピソードもある。

誰も寝てはならぬ」はプッチーニの代表的なオペラ「トゥーランドット」の有名なアリアで、2006年のトリノオリンピックで、荒川静香が金メダルを獲得した際の曲として有名。絶世の美女でありながら氷のように冷酷な中国のトゥーランドット姫に多くの王子がプロポーズするが、3つの謎を出題し、謎掛けを解けなければ即座に処刑してしまう。かつてタタール軍に攻め込まれた際に同族の姫を惨殺されており、それに対する無念の思いからそのような行動に及んでいたのであった。そんな過酷な条件にもかかわらず、カラフ王子が謎を解いてしまう。しかしながら、トゥーランドットはそれでも絶対に結婚したくないと駄々をこねはじめたため、逆に「私の名前は誰も知らない。もし名前がわかったらこの命をお前に捧げよう」と条件を出した。そこで姫が国民に対し「夜明けまで誰も寝てはならぬ。もし王子の名前がわからなければ国民を処刑する」という触れを出す。それを聞いたカラフであったが勝利を確信して歌いあげる(「誰も寝てはならぬ」はこのシーンで歌われるアリア)。やがて王子の召使が連行されるが、名前を言うのを拒み自刃する。姫は献身的な召使を目の当たりにして心境に変化を生じ、王子の愛を受け入れる。
 
レクイエム」はプッチーニが多大な影響を受けていたヴェルディの死後4年の記念祭のために知り合いの出版社に依頼され、1905年に書かれた作品であるが、特にヴェルディに対して深い思いがあったわけではないようである。全体で5分程度ときわめて短く、伴奏もオルガンとビオラのみと、コンパクトに作られている。
 
グローリア・ミサ」は1880年に音楽院の卒業作品として作曲し、原題は「独唱、四声部の合唱と管弦楽によるミサ曲」という。同712日にサン・パオリーノ(聖パウロ)の祝日に演奏され大成功を収めたが、以後この曲の出版と演奏を禁じてしまい、いつしか「幻のミサ曲」となった。プッチーニの死後1951年にルッカ音楽院の書庫で再発見され、そこで初めて「グローリア・ミサMessa di Gloria」 として出版された。全体の演奏時間は45分程度であるが、〈グローリア〉で約20分、さらに〈クレド〉も15分ほどかかり、この2曲でほとんどの部分を占めている。オペラを思い起こさせるような劇的な表現もあるかと思えば、〈サンクトゥス〉のような美しさも兼ね備えた、まさに「歌」にあふれた作品。
 
T キリエ Kyrie
神の哀れみをたたえる歌で、主体となっている歌詞はKyrie eleison(キリエ・エレイソン)であるが、「主よ、哀れみたまえ」という意味。全体はラテン語であるが、「キリエ」はギリシア語である。初期のキリスト教ではギリシア語が共通言語として使われており、その名残として残っている。次にChriste eleison(クリステ・エレイソン)「キリストよ哀れみたまえ」と変化する。1曲目はこの2つの文章のみで成り立っている。ローマ法王グレゴリオT世が三位一体(父、子、精霊)を強調するために入れさせたといわれる。
 
U グローリア Gloria
栄光の賛歌ともいい、曲中最も長い部分であるが、いくつかの部分から成り立っている。なかでもフーガの部分は圧巻で、この曲のクライマックスである。女声合唱→男声合唱→混声合唱と神の栄光をたたえ、テノールソロによる神への感謝を挟んで再び混声合唱となる。荘厳に歌い上げる部分を経てクライマックスのフーガに流れ込み、壮大に幕を閉じる。
 
V クレド Credo
クレドは「われは信ずる」という意味で、ひたすらに信仰を歌い上げる。全員合唱で重々しく歌い始め、バスパートが「キリストは私たちのために十字架を背負って苦しみを受けてくださった」と歌う。やがて最後の審判を告げるラッパが鳴り出すと、レクイエムであれば恐怖に打ち震えるところであるが、栄光をたたえるグローリアミサにおいては女声合唱から明るく「死者の復活と来世の生命を待ち望みます」と歌われる。
 
W サンクトゥス エ ベネディクトゥス Sankctus e Benedictus
サンクトゥスは「聖なるかな」という意味で、ここでは世界を創り人間を創った神に対する深い感謝を示す。全体合唱で厳かに神に対する感謝を歌うと、バリトンソロが「主の御名において来るものを褒め称えよ」と歌い、最後に全員で高らかに歌い上げる。
 
X アニュス・デイ Agnus dei
アニュス・デイは「神の子羊」という意味で、平和の賛歌とも言われる。主にテノールとバリトンの二重唱で、合間に合唱が入る。最後は「われらに平和を与えたまえ」と静かに終わる。
 
ミサについて
ダヴィンチの絵で有名な「最後の晩餐」のシーンで、キリストはパンをちぎって「これは私の体である」といって弟子たちに分け与える。そして「これから私の記念としてこのようにしなさい」と申し付ける。初期のキリスト信者たちは、ユダヤ教の一部であると捉えており、ユダヤ教の礼拝のあと、信者の家に集まってキリストの教えを守るようになった。しかしユダヤ教徒からはそのような行為は異端的であり、キリスト教徒を追放する。そこでキリスト教徒は礼拝式と聖餐式を同時に行うことになった。式典の最後に「イテ・ミサ・エスト」(行こう、派遣された)と唱えることから、式典全体を「ミサ」と呼ぶようになった。

 
アンコール
荒城の月:瀧廉太郎




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